世間との繋がりを作る
5/13のブログです。
こんばんは。
法善寺住職の中山龍之介です。
実は、週明けの月曜から火曜で京都に行く予定です。今年は親鸞聖人生誕850年、そしてご著書である教行信証を書かれてから800年と言われる記念イヤーでして、京都の国立博物館では親鸞展が開催されているとのことです。真宗十派では大きな法要なんかも厳修されていて、大いに盛り上がっているそうです。この時期だと法要は終わっているみたいですが、そういった諸々を見に、京都に行ってきます。
そして帰ってきて翌日に、書道の課題提出の締め切りとなります。京都に行っている間は当然のことながら書くことはできませんので、今日もセコセコと書いていましたし、明日もセコセコと書く予定です。書道は試行錯誤している時が楽しいですが、同時に、正解のない中でもがく苦しみもあります。それも書道の醍醐味と味わいながら、引き続き頑張っていきます。
==================
世間とのつながりを作る
==================
先日、どこで誰に聞いたのかは忘れましたが、『世間と繋がっている人ほど、高齢になっても元気』みたいな話を耳にしました。精神と肉体が繋がっているのは言わずもがなですが、体の健康は取り沙汰されるくせに、心の健康はあまり取り沙汰されない気がします。
体が不健康になれば心も不健康になりますし、心が不健康になれば体も引きづられるように不健康になります。子供を見ているととてもわかりやすいですが、風邪を引いている時なんかシンプルにカオスです。うるさすぎるので、恐ろしく速い手刀で気絶させてやりたいと思うくらいで、それだけ体と心は繋がっているということです。
冒頭の『世間と繋がっている』ということは、自分自身に社会的な役割がある、と言い換えることができそうです。誰かから必要とされたり、自分が誰かのために何かをやってあげたいと思ったり、そういう気持ちがあることで、体も健康にいられるということでしょうか。不慮の病気など、避けられないものもあったりするので一概には言えませんが。
また一般的に、お坊さんは長寿だと言われるみたいです。それこそ親鸞聖人だって、800年前という時代で90歳まで生きてらっしゃったそうです。以前は、声を出すことで内臓が鍛えられるから、と思っていましたが(それも一理あるんでしょうが)、『世間と繋がっている』という点においてはお坊さんは理想像かもしれません。
定年退職みたいなこともありませんし、むしろご高齢になればなるほど有り難がられたりします。世間から必要とされる存在であり続けられるため、長寿でいられるのかもしれません。ちなみに私の祖母は93歳でめちゃくちゃ元気ですが、これも門徒さんがお墓参りの時にご挨拶に寄っていってくださるからだと思っています。明確な役割があることで、元気でいられるんですね。
心の健康は、高齢の方だけに必要なものではありません。むしろ体が健康でいられる若い世代にこそ、心が不健康ではねじれができてヒビが入ってしまいますので、必要なものなのかもしれません。世間との繋がりを作ることがその一助になるのであれば、お寺はそういう役割を持った場所だと思いますので、法善寺としても何かできることがありそうです。建替え後になってしまうでしょうが、考えて形にできればと思います。
今日もブログをお読みいただき、ありがとうございます。まだまだおばあちゃんには頑張ってもらいたいなぁ。
南無阿弥陀仏
-------------------------------------------------------------
Comments