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ちゃんと諦められているか

8/12のブログです。


こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


昨日から一般的なお盆期間に入りまして、多くの方がお墓参りにいらしています。東京のお寺はお盆が7月ですので、法善寺として何かしていると言うわけではないのですが、いらした方々に対応させていただいております。


お盆休みの後半戦は、台風による荒天が予想されています。お墓参りを予定している方は、その日を避けるか、その日しかなければ十分に気を付けてお越しください。どうぞよろしくお願いします。


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ちゃんと諦められているか

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私は今年で36歳になりますが、食欲が衰えたなと思うことはあまりありません。食べようと思えばいくらでも食べられるぞ!という気概を持って食事に向き合っていますが、そんな食べる必要ないか、と咎める自分が出てきています。お腹にたくさん入れたところで、苦しくなるし太っちゃうし、必要な量だけ食べられればいいなという冷静な考えも持つ様になったと言うわけです。


大人になったと言うことかもしれませんが、その分若い人がたくさん食べているのは嬉しくなります。年下の子とご飯に行ったり、御門徒さんとのお食事の席で20代や10代の人を見ると、どうぞどうぞたくさん食べてくださいね、という気持ちになります。自分が食べなくなった分を、若い世代に回しているのかもしれません。


不必要だと思えるほどの量を食べていたあの頃が懐かしいですが、(出来ない時もありますが)必要な分だけを制御して食べられている今の自分も頼もしく感じる時があります。こんなことで成長を感じていいのかは分かりませんが、ちゃんと制御できることは良いことだなと思いますし、その後のことを考えると必要量だけ取れれば十分なわけです。


こういったことも、ある意味では諦めると言えるのかもしれません。諦めるという言葉からはネガティブな印象を持ちがちですが、本来の意味で言えば『真理を見る』だったり『真実を見極める』ということになります。今回で言えば、自分の食事の必要量を『諦め』られてきているわけですから、良い傾向です。


いろんなことをこうやって諦められたら、とてもスマートな生き方が出来る気がします。ただ、それはそれでつまらないんじゃないかと思ってしまうのが私の愚かなところで、無駄なことこそ人生なんじゃないかとか思ったりします。究極を言えば、そこの塩梅こそが人それぞれの人生観や価値観ですので、何でもかんでも諦めるのも良くないのかもしれません。


とは言え諦められずに苦しむことも多々ありますので、一つ一つちゃんと見極めていけたらと思います。


今日もブログをお読みいただき、ありがとうございます。あぁ諦めたい。



南無阿弥陀仏

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