かな交じりの創作
12/17のブログです。
こんばんは。
法善寺住職の中山龍之介です。
今日は朝お寺に行く時間帯と、夕方の家に帰る時間帯で雨に降られてしまいました。ただそれ以外の時間帯はほとんど降っていませんでしたので、外出が多い日だったのですが助かりました。
冬の雨の日は、やはり一段と寒く感じます。もう気が付けば今年も残すところ2週間です。年末こそはばっちりの体調で迎え、無事に年越しして初詣の方々を迎え入れたいと思います。
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かな交じりの創作
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さて、今日は昨日の宣言通り、書道についてまた書いていきます。昨日は毎月の課題(濫觴)でしたが、今日は法帖(古典のお勉強)についてです。
今取り組んでいるのは、漢字とかなが混載している『かな交じり』という分野で、少し前までは創設者の大溪洗耳先生の字を臨書していましたが、最近は自分自身で創作しながら書いています。

60 x 180cmという横長の紙に、自分で選んだ文章を書いていくのですが、私はスッタニパータを選んで書くことにしました。先週も申し上げましたが、何気なく選んだ文章でしたが、『~ものでも』が多すぎてテンパっています。一応、数パターンの『ものでも』を持ち合わせているつもりですが、まだまだ手札が少ないので前半早くに使い切っています。
前回よりは、墨をきちんと入れるポイントをいくつか作ってみました。前よりも表情が出た気もしますが、潤渇の『渇』、つまりは墨が入っていないところをあまり上手く作れなかったかもしれません。墨継が細かくなった分仕方ないのかもしれませんが、そこまでコントロールしてこその淡墨作品かなと思いますので、まだまだ試行錯誤が必要です。
また、先生から指摘されたのは、何となく各行が頭でっかちになっていることでした。『ドン!つらつらつらつら・・・』という雰囲気で各行が構成されていて、さらに最後の『ものでも』が同じような大きさで書かれているので、より頭でっかちが際立って見えます。ひらがなをもう少し大きく書く意識も持たなければいけません。
一方、スペーシングは結構上手くいったんじゃないでしょうか。左右の空きも、天地の空きも良い感じな気がします。ただ、各行の行間がなんとなく一緒になっているので、そこがつまらないところです。詰めるところ、開けるところ、もっと極端にやって見ても良いんじゃないかなと思います。
私は、創作ではいかに自分の固定概念から飛び出せるかを試されていると思っています。『漢字は大きく、ひらがなは小さく』『行間は均等に』などなど、様々な固定概念が自分自身にはあるわけですが、そこを取っ払わないと面白い作品は作れません。
もちろんあまりに取っ払い過ぎてやりすぎになる場合もありますが、私の場合はまだその方が良いかもしれません。先生的に言えば『破綻しなさい』とのことですが、まだまだ安全圏でちょいちょい書いている自分がいます。もっと攻めないといけません。
この創作は、次回の授業で提出となります。『ものでも』対策を考えながら、進めていきます。
南無阿弥陀仏
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