お金のやり取り、価値の提供
8/3のブログです。
こんばんは。
法善寺住職の中山龍之介です。
そういえばすでに8月に入っていましたが、最後の1週間からがドタバタすぎてお寺の掲示板を替えるのを怠っておりました。明日時間が取れそうですので書こうかなと思っておりますが、今月は少字数(2文字か3文字)でドカン!と書いた作品がいいなぁと何となくイメージしています。まだ何を書くのも決まってないですが、楽しみにしていただけると嬉しいです。
そういえば先日のブログでも書いたバスツアーチラシのデザイン募集ですが、クラウドワークス経由ですでに20以上のご提案をいただいております。予想以上の反響に驚くと同時に、時間を使っていただいたことに感謝です。まだ締め切りまで時間があるのでどれにするか決定していませんが、すでに気に入っているデザインもいくつかあるので失敗になることはなさそうです。これからも活用していきたいサービスとなりました。
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お金のやり取り、価値の提供
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先日ふとしたタイミングで、『お金のやり取りって、なんで発生するんだっけ?』と思ったことがありました。サービスや商品のやり取りが発生すると、お金を支払う側とお金を頂く側に分かれるわけですが、その境界線と言いますか基準といいますか、それが曖昧な時も結構あったりします。コンビニとかレストランとかだと分かりやすい話ですが、そうではない場合も多く散見されるのがこの世界です。
良く目にする逆の形で言えば、スポーツイベントの協賛なんかがそうかもしれません。とある会社がイベントに対してスポーツドリンクなどの商品を提供した上で、更にお金も払うことなんてざらにあります。イベント運営からすると商品をもらっているのに、お金を払うわけではなくむしろ貰っていることになりますので、コンビニでの買い物と比べるとお金のやり取りが逆の方向を向いています。
まあなんか複雑そうに例を出してみましたが、要は『価値』がどう動いているかによって、お金のやり取りも変わってくる、ということになるのでしょう。コンビニなんかでは、客側に商品を渡したところで店側は何の価値も提供されません。なのでお金のやり取りは客→店になります。反対に先ほど例に出したスポーツイベントでは、スポーツドリンクを飲んでもらって宣伝してもらうことによって価値が発生しますので、お金のやり取りは会社→イベントとなるわけですね。
価値に対してお金を払う、というのは現代で当然のことの様に感じますが、お寺社会ではどうなんでしょうか。そもそもこの世界を一般社会と同じ物差しで測ることに抵抗はありますが、それでも一般社会に暮らしている方々と深く関わる世界でもありますので、そこの意識は持っていなくてはいけないと思っています。そして常日頃から、価値を提供出来ているか?と自問自答しなければいけません。
そこで思うのが、お寺が提供できる価値とは何なんだろうかということ。葬儀をしたり法事をしたりすることはもちろん大切ですが、一番に意識しないといけないのは、御門徒さんの日々の生活の支えになること、なんじゃないかなと思います。人々の指針となり、支えとなり、励ましてくれる存在であるはずなのが宗教ですので、宗教の役割をきちんと提供すること、それがお寺が提供できる価値なんじゃないかなぁと思います。
行き着くところは教化になるわけですが、お金のやり取りという側面から、もっとそこにこだわってやっていかないといけないな、と改めて気付かれた気がします。忙しいと日々のことを回すので精一杯になりがちですが、もう一歩二歩踏み込んで、踏ん張って、お寺にしか出来ない価値を提供出来たら、と思います。
今日もブログをお読みいただき、ありがとうございます。明日も頑張ろう。
南無阿弥陀仏
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