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お葬式で想う事

11/7のブログです。


こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


ここ数週間、左肩甲骨辺りの痺れに悩まされています。原因は子供を抱っこしていることにあるのは分かっているのですが、そこを疎かには出来ませんので、カイロやら整体やらに通い、家でもストレッチをしています。ただあまり症状は良くならず、どうにかならんもんかね、と悩んでおります。


痛みがあるとかではないのですが、このブログを書くときなどにビリビリと来て落ち着きません。まあすぐに治るようなものではないと思うので、このまま地道に治療とストレッチを続けます。また、どなたか、良い治療法があればご教示いただけると幸いです。。。


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お葬式で想う事 =============


さて、ニュースによると今日は新型コロナウイルスによる死者がいなかったそうで、これは何と1年3か月ぶりの事だそうです。最近は、新規感染者数も重症者数も低い数値で推移していて、11月に入ってもリバウンドの傾向が見られないのが嬉しいところです。少し落ち着いても、またすぐ増えるというのを何度も経験した今年の我々ですので何だか落ち着かない気持ちもありますが、素直に今の状況を受け入れられる気持ちも持ちたいなと思うところです。


ただ、少なくなってきたからと言って、自分の身に、もしくは自分の周りの人の身に起きないとは限りません。調べてみると、宝くじで1億円以上の高額配当を得た人は年間で400人弱ですので1日1人と考えると、10月で見れば未だにコロナで亡くなる人の数の方が多いのが現状です。宝くじに夢を抱いて当選を妄想してしまいますが、現実を見るとやっぱり感染対策には気を使わないといけません。


私は職業柄、年間数十件のお通夜や葬儀に伺いますが、そこでつくづく思うのは、亡くなった方々一人一人に大切な人生があったという事です。そして、若くして亡くなったのであれば言わずもがなですが、いわゆる大往生と言われるような高齢の方でも、遺された方々は心から悲しんでおられます。ニュースで数字だけを見てしまうと感じにくいですが、人一人が亡くなるというのは、本来それだけ重い出来事のはずです。


正直言うと、年間数十件も行くと段々とお通夜や葬儀に慣れてきてしまうものです。ただ、そういった光景を見ると、慣れて流れ作業のようにお勤めを行ってはいけないなと強く思います。これは葬儀に限らず年忌法要でもそうですが、ご遺族の方々に寄り添えるようなお坊さんになりたいものです。


日本の仏教は葬式仏教だと批判されることも多いですし、私も確かにそこに大きな比重を置きすぎているとは思いますが、お葬式を担える役割を持っているという事も、宗教にとっては非常に重要なことです。故人を思うみなさんの気持ちを背負って送り出すことが出来るのもお坊さんの役割ですので、そこには逃げずにきちんと向き合わないといけません。


葬儀で我々僧侶はどうあるべきか、何が正解なのかはっきりとは分かりませんが、自分なりの精一杯のお勤めをしていきたいと、今日のニュースからの派生で想う事でございました。



南無阿弥陀仏

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