見頃はいつか

こんばんは。

法善寺副住職の中山龍之介です。

先週の土日で、書道の懇親会、東本願寺学院の卒業式と、二日連続でスーツ&革靴だったせいか、右ひざが固まって痛みが出ております。いよいよサラリーマンには戻れないと確信しました(今はスーツは年に10回も着ません)。

お彼岸も終わりましたが、お彼岸絡みで一つ書こうと思っていたことがありまして、まだ書いておりませんでしたので本日はそれに触れていきます。

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お彼岸のお花

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お彼岸だけでなく、ほぼ毎週、本堂にお飾りするお花は、花卯さんという業者さんにお願いをして納めていただいております。お花は、通常であれば2-3日持てばいいのでしょうが、お彼岸の場合は1週間の長丁場ですので、少し様相が異なります。

今回の春のお彼岸でも、花卯さんに本堂のお花をお願いしました。すると、お彼岸直前に持ち込まれたお花は、いつもより少し控えめで、お花以外に木の枝が刺さっていました。変わった生け方だなと思っていたのですが、日を追うごとにその枝が活躍してきます。というのもその枝は桜の枝で、たくさんの蕾を有したまま生けられてきました。そこから日数が経ち、お彼岸のお中日頃には満開となっており、それはまあとてもキレイでございました。

つまりは、今回のお花は、納められてから3日くらいで見ごろを迎えられるように計算されていたんですね。

そしてその花を見ながら、仕事も同じだなーと考えていました。なぜなら、どこで見頃を迎えるか、これを考えるのはとても重要だからです。

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その仕事の『見頃』はいつか

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例えば、法善寺で4/11に予定されている『生け花教室と精進料理』という行事ですが、その当日だけの取り分を考えるのであればお寺としてはあまり有益ではありません。そもそも少人数ですから、そんな数の方々からいくばくかのお金を頂いたところで、その後の発展は見通せないからです。

『生け花教室と精進料理』の本当の狙いは、生け花教室をフックにお寺に来てもらい、お寺に親しみを持ってもらう、そして精進料理を召し上がっていただき、これを食べていただくことで、その精進料理が振舞われる永代経や報恩講などのお寺の行事に興味を持ってもらう、という風にデザインしています。もちろんこれ通りに順調に物事が運ぶかは分かりませんが、狙っているのは『新しい人がお寺に来てくれるようになる』ということです。これには、『生け花教室と精進料理』当日の参加費を頂くよりもよりも大きな意味があると考えています。そしてもっと言えば、新しい人がお寺に来てくれるようになることで、数十年後のお寺の発展に繋がるかもしれません。

もちろん、当面のお金をいただくこともとても大切です。未来のため未来のため、、、と経費を掛け続けた結果、手元にお金が無くなって途方に暮れる、というのは本末転倒です。だからと言って当面のお金だけを求めては、お寺としての存在理由がなくなってしまいます。ブランディングに繋がる話かもしれませんが、『法善寺って良いお寺だよね』と思っていただけるように活動し続けなければ先細りしてしまいます。

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良いお寺とは?

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それじゃあ、良いお寺とはどんなお寺なんでしょうか?定義は人それぞれでしょうが、法善寺としては『お檀家さんに寄り添ったお寺』を目指しています。これは前住職(私の祖父)が残した言葉でもあります。

そういった法善寺イズムを継承していくことも私の大切な使命だと思っています。間違っても『法善寺ってなんか色々やってるよね』という浅い評判で終わらぬよう、足元を見ながら一個一個着実にお坊さんとしてのお勤めをしていこうと思います。

東本願寺学院を卒業したことで、ある意味私自身への投資は一段落しました。これからは一人前の僧侶として、甘えを捨てて頑張っていかなければいけませんね。

南無阿弥陀仏

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