睡蓮花に気分が上ってしまう愚かな自分

5/29のブログです。

こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。

五月も末ということで、段々と梅雨が迫ってきました。とある予報では、明日から関東地方も梅雨入りするとのことですが、今日もすっかり梅雨らしい、一日中シトシトと雨が降り、じめじめとした気候でした。

そんな中でも池には睡蓮花がひょっこり顔を出していて(写真では閉じかけですが、午前中はしっかり咲いていました)、意外と癒されるものです。毎朝お寺に来る時に池の前を通るわけですが、睡蓮花が咲いていると『お、ラッキー』と思ったりします。花によって色の濃さが違ったりして意外と見所があります。法善寺にお越しの際にはぜひご注目ください。

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睡蓮花に気分が上ってしまう愚かな自分
 
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冒頭で睡蓮花について触れましたが、ひょんなことから縁起を担ぐのが人間という生き物だったりします。睡蓮花が咲いているだけで『お、ラッキー』と思う私もしかりですが、昔から『茶柱が立ったら縁起が良い』とか『黒猫が横切ったら縁起が悪い』とか言われたりしています。

当然と言えば当然ですが、これらはただの迷信で事実ではありません。真実をきちんと見つめることが出来ないのが我々人間の愚かなところですが、それがもろに出てしまった形かもしれません。

祖父は法話の際に、宝くじの話を時々していました。年末なんかになると、宝くじ売り場には長蛇の列が出来ます。『この売り場から大当たりが出ました!』みたいなのぼりを見つけては、『それなら私も!』と意気揚々と宝くじを買うわけです。

その一方、交番や警察署の掲示板にある『昨日の交通事故』にはほとんど目もくれません。死亡者数や負傷者数が掲示されているのですが、それを見ても『もしかしたら明日は私かも…』と思う人はなかなかいないんじゃないでしょうか。

どちらも稀な確率であることには変わりませんが、一方は自分事のように捉え、一方は他人事のように捉えています。ちなみに確率で言えば、年末ジャンボ宝くじの大当たり確率は約2000万分の1、交通事故にあって亡くなる確率は約48,000分の1(日本の全人口における死亡者数の割合)ですので、交通事故で亡くなる確率の方が断然高いわけです。

こういった真理を明らかに見られないのも、仏教では愚痴(愚かさ)や貪欲(貪り)という煩悩と捉えます。かく言う私も、睡蓮花が咲いている程度で『お、ラッキー』と思うくらいですので、まだまだ心の曇天は晴れそうにありませんね。

数字にすると解り易かったりしますが、それでも真理を見つめるというのは簡単なことではありません。逆に言えば、だからこそ浮き沈みがあって有難い人生になるとも言えますが、そこにある愚かさには気付かなければいけません。改めて自分の愚かさに気付いた、今日という日でございました。

今日もブログをお読みいただき、ありがとうございます。梅雨明けはいつでしょうか。

南無阿弥陀仏

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