春のお彼岸お中日

3/20のブログです。

こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。

今日は春分の日ということで、お彼岸のお中日でした。春と秋、それぞれ春分の日と秋分の日がお中日となるのがお彼岸でして、秋分の日生まれの私からすると、今の年齢になって半年が経ったということになります。

そんな今日は、午前中は良い天気でしたが午後は不安定でした。ザッと降ったかと思えば晴れ間が差し、止んだのかと思ったらまた降ったり。ただおかげで、雨上がりに見えた夕焼けはとても綺麗でした。春分の日のサンセットでしたので、あっちが真西か、と思いながら眺めていました。

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春のお彼岸お中日

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お彼岸の由縁は諸説ありますが、その中の1つに、真西に沈みゆく太陽を見ながら、阿弥陀仏が建てられた西方極楽浄土を思い浮かべていた、というものがあります。

昔の話なので、今のように地球が丸いとわかっていなかったり、地球の地図が開発されていなかったりしたので、今ではこれが物理的には正しくないことは立証されているのかもしれません。実際、日本から見た西には韓国や中国があるだけですし、インドから見たら中等やアフリカがあるばかりです。

ただ、だからといって、仏教なんて嘘っぱちだ!と一刀両断されるのも違います。お釈迦様は方便として、聞いている人に分かりやすい形として、西方に極楽浄土というお国があるんだよ、と説かれたわけです。

方便とは、人を真の教えに導くための仮の手段、だそうです(by グーグル先生)。嘘も方便、なんて言い方をしたりしますが、この言葉はそもそも仏教用語であるみたいです。

例えばですが、お仏壇に入っているような阿弥陀仏の絵像(掛け軸になってるやつ)には裏面に『方便法身(の)尊形』と書かれています。最近の絵像には書かれていないこともあるみたいなので、ご自宅のものに書いていなかったら申し訳ありませんが。

方便の意味は前述のとおりですが、法身とは真理のお姿、つまりは阿弥陀仏のことを指しています。尊形とはそのまま尊い形ということです。

本来、阿弥陀仏は絵像や立像のようなお姿をされていません。光の仏様と言われますが、いつでも誰にも降り注ぐ、碍げられることのない光が阿弥陀仏です。

ただとは言え、それだと想像しにくく、何に手を合わせれば良いのか分からなくなってしまうのが我々人間です。そして、そんな我々のために分かりやすい形となってお出でになったのが、絵像や立像のお姿です。だから絵像の裏に書かれている『法身』の上に『方便』と書かれているわけです。あのお姿はあくまで方便である、というわけですね。

ちなみにイスラム教では、そういった方便を認めていないため、偶像崇拝が禁止されています。神様(アッラー)のお姿を、方便であっても形にしてはいけない、というわけです(だったはずです)。

仏教は良くも悪くも柔軟性の高い宗教です。方便もたくさん出てきますが、きちんと学ばないとそのままの意味や違う意味で捉えられることもあります。

また、これは仏教に限らずですが、結局相手の人は何が言いたいのか、というところを考えながら話をすることが、とても大切だったりします。これは仏教が日常生活に活きる場面でもありますので、改めて仏教を学ぶことは日常生活をより良くしてくれるんだなぁと実感した、そんなお彼岸でございます。

今日もブログをお読みいただき、ありがとうございます。お彼岸も折り返しました。

南無阿弥陀仏

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