声明のお稽古@福岡

7/1のブログです。

こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。

今日は、だんだんと恒例になってきた福岡出張でした。福岡もこれで4回目でしょうか。行くたびに人が増えている気がして、今日は行きの飛行機では多くの家族連れがいましたし、帰りの空港に向かう運転中にはがっつりと渋滞にハマってしまいました。ストレスは増えますが、コロナが明けてきたということで良いことですね。

相変わらず泊まりなしの弾丸出張ですので、今は自宅からこのブログを書いています。気付けばもう7月、今年も下半期ということです。夏本番がやってきましたが、ハチミツと義父が送ってくれた長芋と共に乗り越えていこうと思います。

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声明のお稽古

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福岡出張の目的は声明の稽古をつけていただくことです。古くからの声明をきちんと受け伝えていて、尚且つ経験も豊富な貴重な方で、そんな方にマンツーマンでご指導いただける貴重な機会です。本当にありがたい限りです。

今日は伽陀をみっちりと教えていただきました。年忌法要などをする際に、一番最初に唱えるのがこの伽陀ですが、実はいろんな種類があります。

一番よく使われるのは『先請弥陀〜(ぜんしょうみだ〜)』と始まる伽陀でしょうか。法善寺ではこの伽陀の他に、『萬行之中〜(まんぎょうしちゅう〜)』と始まる伽陀もよく使っています。一番ベーシックなのが『先請弥陀』、そして本来は阿弥陀経に付けるべきなのは『萬行之中』ということみたいです。

この2つ以外にもありまして、全部合わせると13章となります。今日はそれ全部に稽古をつけていただきましたので、最後の方には喉がカッスカスになってしまいました。お聞き苦しかったと思いますし、こちらも辛かったですが、喉を鍛えることも稽古の内だということです。まだまだ鍛錬が足りませんね。

伽陀は、和讃などに比べると荒々しく唱えるものです。先生曰く、和讃は天台の流れを汲み、伽陀は真言の流れを汲んでいるそうです。確かに、善光寺で聞いた天台の声明は滑らかなものでした。真言の声明はあまり記憶にないので何とも言えませんが、そういう違いがあるとのことです。

ただし、荒々しいままやってしまっては大谷声明とは言えないので、荒々しさの中に和讃のような滑らかさと言いますか、流れるような音があるとより良し、とのことでした。一見すると矛盾するような表現ですので、まだまだ私には難しい領域ですが、そういう世界があるということを知れただけでも収穫でしょうか。これからはそこらへんを意識しながら日々の法務をやっていこうと思います。

稽古は2時間半みっちりとやっていただきました。帰りは前述の通り渋滞にはまってしまい、思いの外ギリギリに空港に着きました。何とか空港でラーメンだけ啜り、飛行機に飛び乗りました。福岡空港のラーメン屋さんはそろそろ完全制覇できそうです。

今日もブログをお読みいただきありがとうございます。下半期も頑張っていきましょう!

南無阿弥陀仏

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