墓前のお勤め、動画配信開始

こんばんは。

法善寺副住職の中山龍之介です。

 

今日は久々に、肌寒さを感じる一日でした。というか、最近雨模様の日が続いていますけど、まだ梅雨じゃないですよね?テレビ見てないのでそういう情報が入ってきていないのかと心配になるくらい、梅雨っぽい天気が続いています(ちなみにネットでニュースとかは見てます)。

 

明日も涼しいみたいです。コロナ以前に、風邪引かないように気を付けましょう。

 

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墓前のお勤め、動画配信開始

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さて、タイトルにもありますが、お墓の前で行うお勤めの動画配信を開始しました。先週の金曜日に思いついてから、少し時間が経ってしまいました。お待たせして、申し訳ございません。

法善寺では納骨などの際、お墓の前では『三誓偈』という偈文を頂いております。

 

この『三誓偈』は、『仏説無量寿経』というとても長いお経の中に登場します。『仏説無量寿経』では最初の方に、阿弥陀仏がまだ仏様になられる前、法蔵菩薩という名前だった時に建てられた48個のお誓い(誓願)が説かれているのですが、その直後に出て来るのがこの偈文です。

 

①わたしは世に超えすぐれた願をたてた。必ずこの上ないさとりを得よう。この願を果しとげないようなら、誓って仏にはならない。

 

②わたしは限りなくいつまでも、大いなる恵みの主となり、力もなく苦しんでいるものをひろく救うことができないようなら、誓って仏にはならない。

 

③わたしが仏のさとりを得たとき、その名はすべての世界に超えすぐれ、そのすみずみにまで届かないようなら、誓って仏にはならない。

この三つの誓いがされているので、『三誓偈』と言います。また、『重ねて誓われている』ので、『重誓偈』と言ったりもします。

 

動画を見ていただければお分かりになると思いますが、短い偈文ですので、納骨の際だけでなく、火葬炉の前や、普段のちょっとしたお勤めなんかの時に使われることが多いです。ちなみに、私が通っていた東本願寺学院でも授業の前にはこの『三誓偈』と、もう一つ『嘆仏偈』という偈文を頂いておりました。

 

『嘆仏偈』は仏様を讃える偈文で、三誓偈よりも少し長いですが、これも日常的に良く使われます。おそらくほとんどの浄土真宗僧侶は、この二つは丸暗記していると思います。私も基本的には覚えていますが、不安なのでアンチョコとして本を持っていることが多いです。持っているだけで安心します(メンタル雑魚なんです)。

 

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南無阿弥陀仏の意味

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先述の三つのお誓いをご覧になれば分かるように、阿弥陀仏はとても慈悲深い仏様です。『誰もあきらめねーぞ、絶対救うぞ』という(口調は空想ですが)気持ちを持った仏様で、この阿弥陀仏を御本尊としている宗派はこの慈悲深さに救いを求めています。

 

浄土真宗では、法蔵菩薩が建てられた48個のお誓いの内、18個目を『王本願』として最も大切にしています。この第18願は簡単に言えば、『私の名を称えれば誰でも救うぞ』というお誓いで、私たちはこれに依っているから『南無阿弥陀仏』とお念仏を称えて極楽浄土への往生を願っているわけです(正確に言えば、このお念仏も阿弥陀仏によって称えさせていただいていると捉えるのが浄土真宗なのですが、長くて複雑になりますので割愛)。

 

『南無阿弥陀仏』の『南無』とは、サンスクリット語の音訳ですので『南が無い』という意味ではありません。中国では『帰命』と意訳されました。これは日本語では『身を委ねます』という意味になります。

 

つまりは、『南無阿弥陀仏』とは『阿弥陀様、私はあなた(の第18願)に身を委ねます』という意味です。浄土真宗では、たった一度でもお念仏をすれば、命終の後に極楽浄土への往生が定まるとされています。

 

ではその後はお念仏をしなくていいのかというと、それは違います。それ以降のお念仏は『報恩感謝の念仏』として、阿弥陀仏に感謝の気持ちを伝えるものになります。『お救いください』、そして『救ってくださりありがとうございます』、こういった気持ちがお念仏には込められているんですね。

 

是非皆さんもお念仏する際には、これらの気持ちを忘れずに『南無阿弥陀仏』と称えてみてください。

 

 

南無阿弥陀仏

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